東日本大震災から10年 第2陣
東日本大大震災から10年が経過しました。
宮崎県の最後のDMAT活動として
私達のチームの第2陣が
宮城県七ヶ浜町に向かいました。
第1陣DMATチームが
七ヶ浜町で医療支援活動を始めた事で
その後の宮崎県のDMATは引き続き
七ヶ浜町で活動をすることになりました。
第2陣のチームの一員として現地に入ると
2回目の派遣と言うことで
現地の方達はとても温かく迎えてくれました。
その時点では
地震からすでに3ヵ月ほど経っていたせいか
電気ガス水道などもほぼ復旧し、
避難者の数もかなり減ってはいましたが
津波に襲われた場所は壊滅的状況で
泥だらけで波が全てをさらっていった後の
建物の土台だけが残る
何もない荒涼とした景色でした。
しかし津波被害を受けなかった高台のある場所は
被災前となんら変わらない
日常の風景が残っています。
第2陣の我々は旅館を予約できたので
そこで第2陣メンバーと寝食を共にし、
避難所に通うという活動を行い、
第1陣よりはストレスの少ない状況でした。
朝、旅館から避難所までは車で通いましたが
その時、すれ違う登校途中の小学生が
がれきを路肩によけただけの1本道だけがある
なにもない街を歩いている姿は
とても奇異な景色、非現実的な光景で
あり得ない風景を見ている自分が
驚きを超えて不思議な感情を抱いたことを
今でも忘れることができません。
七ヶ浜町の浜辺には
大きなコンテナがいくつも打ち上げられており
荒涼とした土地のがれきの中に
津波避難誘導の案内板が
ぽつんと立っている光景は
本当に無常を感じる景色でした。
地元の延岡には
其の当時そんな津波避難の案内板など
どこにもなく七ヶ浜町のその看板を見たとき
日頃からこの地域では津波に注意し、
備えていたにも関わらず
これほどの被害が出たことに衝撃を受けました。
避難所での活動を締めくくった私達は
地元の方々からは沢山の感謝の言葉を頂き
その活動を無事やり遂げることが出来ました。
ただ、現地で活動した者として
避難所生活をしている方々と
自宅で生活している方々の間に
色々なわだかまりや
問題があったことも事実です。
今後の災害時の活動に
それらの問題を解決していけるよう
今からちゃんと考えていこうと思いました。
震災から10年が経過しましたが
我が地元延岡市は
あのような大きな災害に対応できるのか、
事前に準備を行っていた宮城県でさえ
あのような大きな被害があり
今の状況ではこの街も大きな被害が
出ることは簡単に予想できます。
その時に備えて少しでも災害後の対応ができるように
あれから少しずつ準備をし、
備えていますが
今はただただ災害が起こらないよう
まずは祈るばかりです。